今週は、ドリス・デイのケセラセラをお届けします。一般にこの曲の題名はケセラセラの後にはwhatever will be, will beと続きます。「なるようになるさ」という風に和訳されていますよね。「なるようになる」は「物事というものは自然のなりゆきに従うもので、人為でどうこうなるものではない」という意味らしいのですよね。日本語での意味はちょっとやけっぱち感があるようにボクは感じるのですが、whatever will be, will beは、運命論的に、「世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められている」というニュアンスです。日本語と英語でちょっと違うかなぁと思っています。
ケセラセラの起源はスペイン語との説が有力なんですが、同時にスペイン語の文法的には正しくないとの見方もあるみたいです。ケ(Que)は色々な意味がある単語なんですが、英語のwhatの意味もあるんですね。そしてセラ(sera)はbe動詞の活用です。それでwhatever will be(何でも、こうなると決まっているもの)はwill be(そうなる)と訳せます。この曲があまりにも有名なため、文法に関係なく今ではスペイン語圏ではケセラセラは一般的に使われているそうです。
この曲は1956年のヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌で1956年のアカデミー歌曲賞を受賞しました。主演女優はオハイオ州シンシナチ出身のドリス・デイ。この歌もドリスが歌っています。ドリスってなんとなく親しみやすい、その辺にいそうな美人だなぁと思います。オハイオ辺りは訛りもなく、早口でもないからなのか、とてもはっきりした英語で歌っています。どゆソン史上一番聞き取りやすいのではないかと思います。
但し、一か所だけ、ケセラセラのケはスペイン語ではアクセントをつけずに軽くケと発音しますが、ドリスはアクセントをつけた上で、ケではなくケイと発音しています。聞き取れますから注意して聞いてみてくださいね。
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私がまだ小さな女の子だった頃
大きくなったら私どんな風になるの?ってママに聞いたことがあるの
かわいいかしら?お金持ちになれるかしら?って
そしたらママはこう答えてくれたの
なるようになるわよ
未来のことは私たちにはわからないのよ
だから気にしても仕方ないわ
少し大人になって恋をして
私たちの未来には何が待ち受けているのかしら?虹の向こうには何があるのかしら?って恋人に聞いたことがあるの
そしたら彼はこう答えたの
なるようになるさ
未来のことはボクたちにはわからないよ
だから気にしても仕方ないよ
そして今、私には子供が生まれたの
うちの子たちは私にこんなことを尋ねるのよ
自分たちは大きくなったらどうなるだろう?って
イケメンになるかなぁ?お金持ちになれるかなぁ?って
私は子供たちにやさしくこう答えるわ
なるようになるのよ
未来のことは私たちにはわからないの
だから気にしても仕方ないのよ
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この曲は日本語に訳されても歌われています。ペギー葉山のバージョンは紅白歌合戦でも歌われました。そのほかにも雪村いづみのバージョンとジブリアニメの『ホーホケキョ となりの山田くん』の挿入歌バージョンがあります。
さて、それでは未来についての姿勢についてちょっとお話します。
「なるようになるさ」と言ってしまうと楽観的というか、ギャンブルみたいに未来を受け止めているように聞こえます。
ボクの仕事のコンサルティングというのは要するに「未来を予想すること」で、実際に将来どんなことが起こるかを言い当てることはあります。
しかしその予想というのは超能力ではなくて必然のブロックの積み重ねのことなんですね。今こんなことが起っている。そうすると将来はみんなこんなものが欲しくなるはずだ。であれば今から先回りしてこんな仕組みを作ったらいい。という風に今起こっていることから筋道立てて考えるんですね。
コンサルをやっていると、何か一つ、何の努力もせずにちょっと変えるだけで大成功が待っていると勘違いしている人が意外と多くて驚くんですけど、「魔法の呪文はありません」
小手先の何かをちょっと変えただけでは何も変わりません。目先のことばかりにとらわれず、長期的視野に立って計画をすることが大事です。
「こんな未来にしたいな」と思ったら運を天に任せるのではなくてその準備を今日から始める。魔法を信じないで自分の未来は自分で切り開くんだということだとボクは思っています。
何もしないでなるようになるではなくて、人事を尽くして天命を待つケセラセラではないでしょうか